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ピクテ・グループ210年の歴史

ピクテのご紹介〜210年の歴史(動画)

初期のピクテ

imgHistory011805年7月23日、ピクテの前身となる「バンク・ド・カンドル・マレット&カンパニー(Banque de Candolle Mallet & Cie)」が設立されました。社名が現在の「ピクテ&カンパニー(Pictet & Cie)」へと変更されたのはそれから120年後、1926年のことでした。

創業当初

創業当初は、ジャコブ・ミッシェル・フランソワ・ド・カンドル(Jacob-Michel François de Candolle)とジャック・アンリ・マレット(Jacques-Henry Mallet)ら2人のパートナー・マネージャーとともに、ジャン・ルイ・マレット(Jean-Louis Mallet、ジャック・アンリの兄弟)、ポール・マルティン(Paul Martin)、ジャン・ルイ・ファルケット(Jean-Louis Falquet、王政復古後の行政長官)ら3人のリミテッド・パートナーが経営にあたっておりました。

まだ規模の小さな銀行で、1819年まではクール・サン・ピエール(Cour St-Pierre)に本社を構えていました。

貿易業務からコンサルティング・管理業務へ

Memorandum of Association(会社定款)によれば、新銀行設立の目的は「あらゆる種類の物品ならびに物資の貿易、年金の募集、商品取引の遂行」となっています。
こうした業務内容は、貿易商としてスタートしたジュネーブの銀行が当時行っていたものとしてはごく一般的なものばかりでした。

しかしながらピクテは設立後間もなくして貿易業務から手を引きはじめ、代わりに顧客の財務・資金調達や商取引に関連したコンサルティングやサポート、ならびに顧客が蓄えた富に関するアドバイスや管理といった分野に業務を特化させはじめます。

手書きによる覚書

手書きによる覚書

こうした業務は、投資アドバイスや外為取引として当時からすでに認知されていました。中世の金貿易商や両替商の真の継承者とでも呼ぶべきジュネーブの銀行家たちは、為替の取り扱いにかけてはエキスパートでもありました。

そうした背景もあり、“エキュー”や“ルイドール” — その当時の欧州の通貨 — そのものを運搬するコストや危険性を回避するため、当時は銀行それぞれが独自の銀行券を発行することも許されていました。

株式投資とリスク分散のはじまり

当時のピクテは、為替の仲買だけでなく、国内外の貨幣や手形で構成されるポートフォリオの管理や売買もしていました。当時の銀行がほとんどそうしていたように、投資目的の金融商品を売買し、満期が来たら投資収益を回収してはさらなる投資に回すという業務を行っていたのです。

現存する帳簿やその他資料を見ると、リスクが確実に分散されるよう、ピクテは1830年代からすでに幅広い種類の有価証券を顧客に代わって管理していたようです。取り扱っていた有価証券には、海外政府発行のソブリン債、富くじ札(当時、大流行していました)、国内外企業の普通株式、アイルランド、オルレアン、トリノなどのトンチン年金などがありました。

1850年代に入ると、スイス、欧州、米国における産業の発達が投資チャンスを飛躍的に高めました。それにつれてポートフォリオには北米の鉄道会社の債券をはじめ、不動産、鉱山、保険などの会社の株式が数多く組み込まれるようになりました。

20世紀初頭

1880年代から第一次世界大戦の勃発まで、ピクテはその規模を順当に拡大させます。従業員数も、この30年間で12名から80名以上へと増加しました。

国境を越えた国際的な投資が増えるにつれ、ピクテは米国とメキシコの有価証券の取り扱いに特化したふたつの投資会社を1900年と1910年にそれぞれ設立します。また、ニューヨークと英国で築いたビジネス・コネクションやベルンで得た高い評判により、ピクテは3件のスイス連邦口座向けフェデラル・ローンに関する米国との交渉を1915年から1920年まで託されます。これら3件のフェデラル・ローンの総額は7,000万米ドルと、当時としては相当に大きな額でした。

ピクテにとって大きな出来事は1926年にもありました。社名を現在の「ピクテ&カンパニー(Pictet & Cie)」へと変更したのです。

20世紀を通して -1925年から今日

imgHistory032つの世界大戦、1930年代の世界恐慌があり、20世紀は不景気な時代でした。ピクテは1950年代から、広範囲にわたる業務展開を開始しました。

戦争の余波を懸念する暗い見通しがあったにも関わらず、西側諸国は繁栄と経済成長を謳歌します。 そしてそれと同時に、ジュネーブは世界有数の外交ならびに金融の中心都市へと発展して行きました。

機関投資家向け資産管理業務と世界進出

1960年代後半になると、ピクテは機関投資家向けの資産管理という新しい事業分野へと進出します。これを受け、ピクテ初の年金基金口座が1967年に開設されることとなりました。

この頃からピクテは急速に事業規模を拡大させ、1945年には70名だった従業員数が1980年には300名以上に増えました。また、ジュネーブ本社の建設に着手するとともに、1974年のモントリオール事業所の開設、ボストン証券取引所へのメンバー加入など、海外進出にも乗り出しはじめます。さらに1978年、ピクテはオフショア銀行である「ピクテ・バンク&トラスト・リミテッド(Pictet Bank & Trust Limited)」をナッソーに設立しました。

驚異的な発展を遂げた1980年-2000年

過去20年間、ピクテは着実に発展し続け、スイスで最も大きなプライベート・バンクのひとつにまで成長することができました。従業員の数も1980年の300名から2000年には1,800名へと大幅に増え、また、預り資産総額も2,070億スイスフランを超える水準にまで達しています。

この飛躍的な成長は、顧客層の変化によってもたらされたと言えます。1960年代以降は、年金ファンドをはじめとする世界中の機関投資家が、その資産の管理と保全のためにピクテを選ぶようになったのです。

今日、ピクテが管理している預り資産総額の約半分は、こうした機関投資家から預っている資産で構成されています。

世界に広がるピクテ・グループ

この間、ピクテは戦略的に重視される世界の金融拠点に事業所を開設しました。現在、スイス国内のジュネーブ、ローザンヌ、チューリッヒ、バーゼルをはじめ、欧州ではロンドン、ルクセンブルグ、フランクフルト、マドリッド、バルセロナ、ミラノ、ローマ、フィレンツェ、トリノ、パリ、また、その他地域でも、ナッソー、モントリオール、ドバイ、シンガポール、台北、香港、東京と、その事業拠点は世界中に広がっています。

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