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「良い円安」と「悪い円安」
市川 眞一
2022/01/18

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概要

円/ドルレートは日米の実質金利差に連動して動く傾向が強い。しかしながら、新型コロナ禍からの経済の回復過程において、米国のインフレ率が急速に高まったことにより、日本の実質金利が米国を大きく上回っているにも関わらず、円が対ドルで下落している。これは、FRBの利上げを背景に米国において金利が上がると同時に、日本の物価が上昇するシナリオを先取りした動きなのではないか。日本の消費者物価上昇率は、生鮮食品を除くコアベースで前年同月比0.5%に止まるものの、通信料金引き下げの影響を除けば、既に日銀が「安定的な物価目標」とする2%を超えている。一方、購買力平価から見た場合、円はドルに対して30%以上割安に評価された状態だ。1970~90年代であれば、この「円安」は日本経済にとってプラスに作用しただろう。輸出需要が成長を牽引していたからである。しかしながら、生産人口が減少するなか、日本企業は生産拠点を海外にシフトし、貿易収支は均衡した。そうした状況下での円安は、所得収支の黒字を拡大させる反面、コスト上昇の要因としてマクロ的にはマイナス面が大きい。「悪い円安」がもたらすインフレ的な影響に注意が必要なのではないか。



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日米の実質金利差は、円/ドルレートに大きな影響を与えてきた。しかしながら、新型コロナ禍以降、日本の実質金利が米国を大きく上回るにも関わらず、円安傾向となっている。市場は、1)米国におけるインフレ率の低下、2)米国の名目金利上昇、3)日本のインフレ率上昇・・・これら3つの可能性により、今後、両国の実質金利差が縮小すると判断しているのだろう。

 

従来、米国の10年国債とインフレ連動の利回りから算出した市場の織り込む期待インフレ率は、約1年先のコア消費者物価上昇率をかなり正確に予測していた。足下、期待インフレ率は2.5%近辺であり、現実の物価とのギャップが拡大している。これは、当初、マーケットがインフレを新型コロナ禍からの急速な景気回復期における一活性の現象と捉えていたからだろう。

 

賃金上昇率が構造的要因から高止まりの様相を呈し、それに連れて米国の金利体系にも変化の兆しが見られるようになった。昨年秋以降、金利は全般に上昇している。これまでのところ、その中心は2年、5年国債だが、12月の雇用統計を受け、FRBは3月にも利上げに踏み切る可能性が強まった。今後、イールドカーブの右肩上がりが強まる局面に入るのではないか。

 

昨年11月における日本の消費者物価統計を見ると、総合指数は前年同月比0.6%、コア指数は同0.5%の上昇だった。ただし、通信料金引き下げの影響を除けば、コア指数は同2.2%上昇しており、日銀の「安定的な物価目標」を上回っている。企業物価指数は9.0%と極めて高い上昇率を示しており、今後、企業による販売価格への転嫁は避けられないだろう。

 

メルセデスベンツ「C200セダン」の価格は、アベノミクス以前の2012年に499万円だったが、昨年は651万円に上昇した。この間、世帯平均所得はほぼ横ばいの状況だ。ベンツの価格上昇のうち、14.4%分は円が対ユーロで下落した影響を受けている。円安により輸入物価が上昇、海外製品の購入コストが上がった分かり易い例と言えるのではないか。

 

1989年末を基準に日米両国の消費者物価を使い円/ドルの購買力平価を計算すると、昨年末は1ドル=74円銭だった。一方、実際の為替レートは115円8銭なので、円は対ドルで理論値から35%割安に評価されているわけだ。この割安な円は、日本の貿易黒字額が大きかった1970〜90年代であれば、輸出の拡大を通じて成長率の押し上げ要因だったと考えられる。

 

2000年代に入って貿易黒字は大きく減少、近年は概ね収支がバランスした状態だ。生産人口が減少し、消費先細りへの懸念、労働力確保の難しさから、日本企業は生産拠点を米国、中国などの巨大消費地に近い地域へシフトさせた。その結果、輸出の伸び悩みにより貿易収支が均衡しており、円安はコスト上昇を通じて日本経済に悪影響を及ぼす可能性が強い。

 

トヨタ自動車の場合、昨年1~11月の販売台数は国内136万台、海外740万台、生産についても国内262万台、海外517万台であり、国内からの輸出は159万台に止まった。円安になれば、会計上、海外での売上高及び利益は円換算で膨れる。ただし、それは実需を背景としたものではないため、国内での設備投資や賃上げの原資とするには限界があるだろう。

 

日本は多くの資源を輸入に依存しているため、購買力平価を下回る円安はコスト上昇要因だ。一方、生産人口の減少が進み、規制の多い日本に円安を理由として企業が生産拠点を戻すとは考え難い。結果として、足下の円安は日本経済にとってネガティブな要素の方が大きいと見られる。さらに円安傾向が続く場合、日銀が描いた内需主導の需給ギャップ縮小による「良い物価上昇」ではなく、意図せざるコスト上昇により「悪い物価上昇」を招くリスクが高まる。それは、日銀の出口戦略を非常に難しくすることで、国債市況の不安定化など想定外の副作用を生みかねない。円安をメリットにするためには、金融資産の国際分散投資が重要ではないか。


市川 眞一
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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