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1ドル=130円を通過点と考える理由
市川 眞一
2022/04/26

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概要

阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件などが日本を揺さぶった1995年前半、為替市場では円高が急速に進んでいた。この円高を止めるため、奔走したのが大蔵省国際金融局(現財務省国際局)の黒田東彦次長などである。1992年、ポンド売りにより英国が欧州通貨制度(EMS)から離脱する切っ掛けを作ったヘッジファンドのファンドマネージャー、ジョージ・ソロス氏のアドバイスを受け入れ、日銀のマネタリーベース供給量を大きく増やすことにより、為替の反転を図ったと言われている。2013年4月、黒田総裁率いる日銀が導入した「量的・質的緩和」は、突き詰めれば1995年の経験に裏付けられたものだったのではないか。ただし、日銀のマネタリーベース供給速度がFRBを上回る時、円安・ドル高になるとするならば、日米金利差の観点からしても、今後、さらに円安が進む可能性は強い。つまり、1ドル=130円は通過点だろう。これまで、円安は日本企業にとり業績を押し上げる要因だった。しかしながら、世界経済が資源価格主導の物価上昇に直面するなか、多くの資源を輸入に依存する日本経済には、円安はコストの増加をもたらすだろう。「悪い円安」に歯止めが掛からなくなるリスクに注意が必要だ。



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1990年代前半、為替市場は趨勢的な円高傾向となった。特に1995年は急速に円高が進み、4月18日には対ドルで当時の最高値であった86円63銭を記録している。1月17日、阪神淡路大震災が発災、保険会社や邦銀が外貨建て資産を売却するとの見方が広がり、円買いが加速した結果だ。デフレ圧力が強まったことで、日本経済には不透明感が広がった。

 

急速に円高が進むなか、1995年6月の人事において、為替安定の責任を担う大蔵省(当時)は、担当する国際金融局(現国際局)の局長に榊原英資財政金融研究所長、次長に黒田東彦大臣官房審議官、為替資金課長に勝栄次郎官房長官秘書官を充てた。今、振り返ってみると、省内のエース級を投入したと言える。それだけ円高を恐れていたのではないか。

 

1995年初夏、Quantum Fundを率いるジョージ・ソロス氏が大蔵省を訪れた。国際金融局幹部に同氏が提示したのは、日米中央銀行によるマネタリーベースの供給速度の違いが、円高に強く影響していることを示すチャートだったと言われている。後に市場関係者の間で「ソロスチャート」と呼ばれたが、為替の動きを正確に説明しているように見えたのではないか。

 

大蔵省との協議により日銀が金融緩和を進め、日米通貨供給速度指数が下降を開始した1995年後半、為替は円安基調になった。この経験は、2012年4月、黒田総裁の下で日銀が導入した「量的・質的緩和」政策に強く影響したのではないか。大規模な量的緩和の本質は、FRBのマネタリーベース供給速度を凌駕して、円高の是正を図ることだったと見られる。

 

5月3、4日の次回FOMCでFRBが資産の圧縮を決める場合、イールドカーブ・コントロールを堅持し、10年国債の連続指値オペを続ける日銀とは政策が正反対になる。仮にソロスチャートが機能するならば、日銀が現在の金融政策を堅持する姿勢を示している以上、ヘッジファンドにとって今は引き続き円を売るチャンスだろう。1ドル=130円は通過点の可能性が強い。

 

今年1,2月、輸入財物価指数は前年同期比で45.2%上昇した。内需を加えても同19.6%の非常に大きな値上がりだ。一方、産出物価指数の上昇率は9.7%に止まり、資源、原材料などのコスト上昇は製品価格には反映されていない。こうした局面で円安が進めば、輸入物価をさらに押し上げ、海外への支払いが増える一方、内需にとっては厳しいコスト高要因だ。

 

円/ドルレートと日経平均の予想1株利益(EPS)の伸び率の関係を見ると、2001年以降、概ね円安は増益要因、円高は減益要因だった。しかし、足下、ゲームチェンジの可能性を考えざるを得ない。昨秋以降、円安が進んでいるにも関わらず、日経平均の予想EPSは伸びが頭打ちになっているからだ。資源価格の高騰と円安が、相乗的ダメージになっているのだろう。

 

円安がドルベースでの日本の製造コストを抑える結果、製造業の国内回帰を促すとの見方もある。資源価格は世界どこでも大きく変わらないため、価格競争の決め手は人件費になろう。しかし、製造業(大企業)の場合、売上高人件費率は10~12%程度に止まる。従って、他国に対して労働コストが相当な割安でない限り、競争力への円安の効果は極めて限定的だ。

 

黒田総裁の政策は、大蔵省国際金融局時代の経験に影響を受けている可能性がある。しかし、日本経済の構造は大きく変化、国際商品市況高騰の下では、「円安はプラス」とは言えなくなった。むしろ、日本全体のコストを押し上げる一方で、資源国へ富が移転するため、「悪い円安」の領域に入ったと言える。5月3、4日の次回FOMCにおいて、FRBが利上げと資産圧縮を決める場合、日銀の金融政策とは真逆になる。そのため、金利差によるキャリトレードも含めてさらに円安が加速する可能性は否定できない。ただし、政府・与党、日銀には切迫感は感じられず、この円安は真綿で首を絞めるように日本経済にダメージを与えるのではないか。


市川 眞一
ピクテ・ジャパン株式会社
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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