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半導体輸出管理が示すインフレの構造化
市川 眞一
2023/04/11

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概要

3月31日、岸田内閣は『外国為替及び外国貿易法』(外為法)に基づく『輸出貿易管理令の一部を改正する政令』を閣議決定した。この変更で、新たに半導体製造装置23品目が厳格な輸出管理の対象になると報じられている。政府は対象国を明示していないが、対中輸出が標的であることは明らかだ。昨年10月に米国政府が発表した半導体関連の輸出管理に呼応した今回の措置は、安全保障に関わる例外を規定したGATT第21条を根拠としている。ただし、拡大解釈の感は否めず、WTOの原則に抵触する可能性は否定できない。この件が象徴するように、WTO体制による貿易ルールは既に形骸化しつつあり、世界は親和性のある2国間、多国間の自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)が実質的な国家グループのルールを決めるブロック化の方向へ向かっているようだ。それは、世界経済の分断が進んでいることを象徴するだろう。結果として、サプライチェーンの最適化が阻まれ、コストの上昇による構造的なインフレ期に入った可能性は否定できない。



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■ ウルグアイ・ラウンドは交渉開始から既に20年以上経過

1995年1月、世界貿易機構(WTO)が発足した。『関税及び貿易に関する一般協定』(GATT)を背景に締約国が8次に亘り国際的なルールを決めてきたが、ウルグアイ・ラウンドの交渉の過程で常設機関が必要とされたのだ。もっとも、164ヶ国が参加し、全会一致が必須とされるなか、2001年に始まったドーハ・ラウンドはまだ決着のメドが立っていない。これが、WTOが形骸化しつつある要因と言えよう。

 

 

■ FTAは関税、EPAは関税+知的財産・投資ルール

WTOの行き詰まりを背景に台頭したのが2国間、もしくは多国間の貿易協定だ。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や地域的な包括的経済連携協定(RCEP)が代表例と言えよう。2国間、多国間を問わず、関税の削減・撤廃を目指す「自由貿易協定」(FTA)、もしくはFTAに知的財産の保護や投資のルールを定めたより包括的な「経済連携協定」(EPA)として締結されるケースがほとんどだ。

 

 

■ 2000年代に入り2国間、多国間のFTA/EPAが拡大

1990年末まではGATTの下での交渉の枠組みが機能しており、結ばれたFTA/EPAは6件に過ぎなかった。これが大きく変化したのは、ドーハ・ラウンドが実質的に頓挫した2000年代であり、現在までに328の協定が発効している。日本は2002年にシンガポールと初のEPAで合意して以降、米欧主要国に比べて出遅れが指摘されていた。しかし、TPP、RCEPの交渉を主導し、現在は20の協定を締結している。

 

 

■ TPPは英国の加入で「環太平洋」から「グローバル」化

TPPの構想は米国のジョージ・ブッシュ大統領(当時)が発案者だ。同大統領は、APEC全体を包括する「アジア太平洋自由貿易圏構想」(FTAAP)の土台として、TPPの活用を考えた。米国と近い国々で厳格なルールのEPAを締結、中国に対抗する意図だったのだろう。ただし、ドナルド・トランプ前大統領がTPPから離脱、日本がこの枠組みを主導することになった。英国が加盟する見込みとなり、地域の概念は拡大する方向だ。

 

 

■ GATTは安全保障に関してのみ加盟国に広範な裁量権

貿易ルールを定めたGATTは、第21条で加盟国が安全保障上の理由からGATTの義務に反する貿易制限措置を採っても、「自国の安全保障上の重大な利益に反する」と判断されるなど3つの要件の何れかを満たす場合、その措置は正当化されると規定している。自由貿易の原則に関する例外であり、主権国家にとって重大な意味を持つ安全保障と国際的な貿易ルールのバランスを図る意味で設けられた。

 

 

■ 旧ソ連崩壊・WTO設立で世界の貿易は飛躍的に拡大 

1991年12月に旧ソ連が崩壊し、1995年1月にWTOが発足して以降、世界の貿易取引は飛躍的に拡大した。1992年から2021年までの30年間、貿易額は年率6.4%のペースで伸びている。冷戦下で世界を分断していた東西の壁が取り除かれ、米国主導の下で世界のサプライチェーンが統合されたからだろう。世界が再び分断に向かえば、少なくとも部分的に自由貿易体制が崩れるのではないか。

 

 

■ 中国、メキシコ、ASEANなどが工業化、対米輸出を拡大

旧ソ連崩壊後の1992年から2021年までの30年間、米国の輸入額は年率5.7%増加しており、中国、インドからの輸入額が共に年平均10.4%、ASEANは同7.1%、メキシコも同8.3%伸びた。一方、日本は同1.1%に止まっている。冷戦の終結は、新興国を2つの陣営から解放し、相対的に労働コストの安い国において工業化の進んだことが背景だろう。日本は対米輸出を新興国に奪われたと言える。

 

 

■ 物価は時代の転換を示唆か?

東西冷戦期は、分断によるコスト高により「インフレの時代」だった。一方、旧ソ連崩壊後は、グローバリゼーションの下での「物価安定の時代」と言える。しかしながら、米国主導の半導体関連の輸出管理強化に象徴されるように、世界は再び分断の時代に突入しつつあるようだ。重要品目においてサプライチェーンが寸断される結果、コストが上昇し、インフレ率は構造的に高まることが予想される。

 

 

■ 半導体輸出管理が示すインフレの構造化:まとめ

WTO体制の形骸化は、国際社会が米国主導のグローバリゼーション、即ち市場統合路線から脱線し、新たな分断の時代が始まったことを象徴すると考えられる。世界的なインフレの傾向は日本にも無縁ではないだろう。輸入物価の上昇が続くなか、企業は利益率を維持するために価格転嫁を迫られ、コア消費者物価上昇率が前年同月比2%を超える状況が続く可能性は否定できない。もっとも、国際金融不安もあり、日銀の路線転換は容易ではないと見られる、資産運用に当たっては、国際的な金融不安のリスクに目配りしつつも、長期的にはインフレ対応型のポートフォリオを持つ必要があるのではないか。


市川 眞一
ピクテ・ジャパン株式会社
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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