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大規模緩和が阻害する賃上げ
市川 眞一
2023/07/04

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概要

日銀が6月27日に発表した2023年1-3月期の資金循環統計により、家計に加え企業が資金余剰である一方、政府が資金不足であることが改めて確認された。日銀短観を見ると、中小企業を含め長期にわたり企業は資金繰りに行き詰まっていない。これは、デフレが金融的要因ではないことを示すだろう。つまり、日銀が量的質的緩和を継続しても、信用乗数が低下し、結果として与信の拡大による需要の刺激にはなっていないことを示している。むしろ、名目金利が極めて低いなかで、限界的な企業も経営が維持され、過剰供給能力が生じた上、産業の新陳代謝が遅れたことこそ、日本のデフレの本質的な要因である可能性は否定できない。一方、日銀の金融緩和が間接的な財政ファイナンスを行ってきたことにより、財政赤字が膨張した。OECD加盟国を見ると、政府債務対GDP比率の高い国に生産性の高い国はない。さらに生産性は賃金と正比例する。日本の場合、大規模金融緩和が政府債務を膨張させ、結果として低生産性・低賃金を招いたのではないか。



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■ 日本は企業が資金余剰セクター

資金循環統計によれば、2022年度、家計は12兆8,146億円、民間企業も6兆7,108億円の資金余剰だった。一方、政府は中央、地方を合わせて25兆6,276億円の資金不足である。本来、企業は資本市場から資金を調達、それで事業を行って利益を挙げる経済主体のはずだ。しかしながら、日本の場合、長期にわたり企業は資金余剰セクターとなり、需要不足を政府が財政支出で補う構図が続いている。

 

 

■ 中小企業も資金繰りに困っていない

日銀短観の資金繰りD.I.は、「緩い」と回答した企業の比率から「厳しい」と回答した比率を差し引いたものだ。時系列で見ると、2014年以降、大企業、中堅企業だけでなく、中小企業も「緩い」が「厳しい」を上回る状態だ。企業が資金繰りに苦労していない以上、ファイナンスへのニーズは強くないのだろう。その背景に企業の資金余剰がある。日銀が金融緩和で流動性を供給しても効果が薄いのはこのためだ。

 

 

■ マネタリーベースは与信に影響せず信用乗数が急低下

与信の規模を示すマネーストックは、中央銀行の供給するマネタリーベースに信用乗数を乗じて求められる。マネタリスト的な考え方によれば、信用乗数は安定的であるため、日銀がマネタリーベースを増やせば、必然的に与信が伸び、投資や消費が拡大してデフレを脱却すると考えられていた。しかしながら、実際の信用乗数は安定的ではなく、日銀の大規模緩和は与信の拡大に結び付いていない。

 

 

■ 日銀は発行済み国債・財投債の52.7%を保有

2023年3月末時点における国債・財投債の分布状況では、576兆円を保有する日銀が全体の52.7%を占めた。これに次ぐのが生命保険の14.5%であり、海外の7.4%が続く。既発国債の過半を中央銀行が持つのは、主要国では極めて稀である。2016年以降はイールドカーブ・コントロール(YCC)の下で10年国債の金利水準も管理しており、結果として財政への市場の評価は極めて見え難いものになったと言えるだろう。

 

 

■ 量的質的緩和で日銀の保有国債は急増

黒田東彦総裁の下、2013年4月4日に量的質的緩和を採用して以降、日銀が保有する国債の残高は急増した。さらに、YCCによる10年国債利回りの変動幅近辺で行われる連続指値オペも、日銀が保有する国債を大きく増加させる要因であることは明らかだ。金融政策が出口戦略へ移行した場合、誰が国債の買い手になるかは見えていない。需給悪化の観測から長期金利が急上昇する可能性があるのではないか。

 

 

■ 2010年代に国内銀行、公的年金は保有国債・財投債を大幅に圧縮

2012年12月に第2次安倍政権が発足、日銀が歴史的な金融緩和を実施して以降、国債・財投債の発行額に対する公的年金、国内銀行の保有比率は急速に低下した。公的年金の場合は、制度改革でポートフォリオを大きく見直した結果と言える。一方、国内銀行は、名目金利が低下したなかで、スプレッドのない長期国債を敬遠したのだろう。結局、その分は費用対効果に拘らない日銀が吸収したわけだ。

 

 

■ 政府債務の大きな国に生産性の高い国はない

YCCにより国債発行金利が低く抑えられたことで、政府の国家債務対GDP比率はOECD加盟国のなかで最も高くなった。この比率が高い国に生産性の高い国はない。政府の役割は、本来、教育、防衛、治安など経済効果では説明できないものの、国家にとって必要な事業を実施することだ。経済に占める政府のウェートが大きくなると、経済全体の生産性は低下せざるを得ないのだろう。

 

 

■ 労働生産性と実質年間平均所得には正の相関関係

G7各国の労働生産性と年平均所得の関係を見ると、統計的な正の相関が見られる。日本の賃金水準がOECD加盟国のなかで相対的に見劣りするのは、低い生産性が要因と言えよう。その生産性は政府債務対GDP比率と関連があり、かつ日本の国家債務は日銀の量的質的緩和の下で膨張した。結局のところ、長すぎた日銀の歴史的緩和が、日本経済のバランスの取れた成長を阻害しているのではないか。

 

 

■ 大規模緩和が阻害する賃上げ:まとめ

安倍晋三元首相の経済政策であったアベノミクスは「3本の矢」で構成されていた。しかしながら、日銀の大規模緩和が円高の是正、株価上昇をもたらすと、最も重要な成長戦略が置き去りにされ、金融政策に依存する状況が続いたと言える。結果としてマネタリーベースは肥大化したが、それはむしろ政府の役割の拡大と不採算企業の生き残りを助長し、生産性の改善を阻害してきたのではないか。畢竟、賃上げが進まず、内需も停滞した。この金融政策の修正は、日本経済にとって非常に大きな課題だ。日銀のバランスシートが極端に膨らんでいるだけに、方向転換は容易ではないだろう。

 


市川 眞一
ピクテ・ジャパン株式会社
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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