Pictet Story


ピクテ – 200年の歴史【5】 1939年-1950年

危機と多様化:1920年から厳しい時代が続きましたが、恐慌の影響を相殺するべくピクテは業務を多様化し、不動産や商品への投資を開始します。第二次世界大戦後、国際交流の発展により商業、銀行業務は飛躍的に拡大しました。加えて国際連合の本拠に選ばれるなど、国際都市としてのジュネーブの位置づけもさらに強固なものとなっていきます。




1920年から1950年にかけては、プライベート・バンカーにとって厳しい時代でした。経済危機に端を発した政治危機が繰り返され、ビジネスは落ち込み利益も減少しました。第二次世界大戦中、国外に投資された資金は封鎖され、多くの顧客との連絡が途絶えました。

この困難な状況を克服し、シャルル・ゴーティエ、ピエール・ロンバー (Pierre Lombard)、アルベール・ピクテ、アレクサンドル・ファン・ベルヘム(Alexandre van Berchem)そしてフランソワ・ド・カンドル(François de Candolle)がピクテを守り抜きました。アルベール・ピクテの義理の兄弟であるシャルル・ゴーティエ (1886-1974) は1919年にパートナーとなります。大恐慌の時代にシニア・パートナーという重責を担うだけでなく、証券取引所およびジュネーブ・プライベート・バンカーズ協会の会長の職責も担いました。シャルル・ゴーティエは社会問題に特に敏感で、プライベート・バンク界で雇用主と被雇用主が折半で拠出金を負担する年金基金を設立した先駆者の一人です。また、手頃な価格の宿泊施設の建設も奨励していました。

エイモン・ピクテが亡くなる直前、1927年にピエール・ロンバー(1886-1977)がパートナーに選任されます。彼はまず、明解さと効率性を重視し、長年にわたる不況がもたらした顧客の資産やビジネスの悲惨な状況に立ち向かいます。戦後の景気回復期、彼が有能なビジネスマンであり、また、極めて優れた運用者であることが証明されます。ピエールはピクテの資産運用の象徴でもあったソパフィン(Sopafin)を何年もの間、統括しました。

弁護士としての教育を受けたアルベール・ピクテ(1890-1969) は、1928年から1951年までピクテのパートナーを務めます。彼もまた、そのキャリアの当初に大恐慌を経験しました。1942年にはスイス連邦全州議会の議員に選出され5年間務めました。


新しい業務

恐慌の影響を相殺すべくパートナー達はピクテの業務を多様化、不動産投資や建設、小規模ローン、石油および海運業などに進出しました。ギヨーム・ピクテの義理の息子であり1937年から1942年までピクテのパートナーを務めたフランソワ・ド・カンドル(1903-1942)主導のもと、ピクテはジュネーブの不動産投資会社(RenteImmobilière Genevoise)を継承し、この会社を安定させ、経済混乱の時代の最中にもかかわらず投資先として安全性の高いものとしました。土木工学を修めたフランソワ・ド・カンドルは、かつての学友とともにコンラード・チョッケ(Conrad Zschokke)という土木会社の経営を引き継ぎます。

加えて、ピクテは小規模ローンを専門としたオルカ(Orca)という会社を設立し、アントワープにある石油精製所の建設にも参加、3隻の貨物船と4隻の商業客船を運営する海運会社のオーナーとなりましたが、これら様々な事業は戦後には中断されました。



アレクサンドル・ファン・ベルヘム(1900-1977)の1930年から1965年に渡るキャリアは、危機的時代と驚異的な戦後復興の時代という2つの対照的な時代にまたがっていました。1940年6月に、彼はピクテのアメリカでの利権を守るべく2年間家族とともにアメリカに渡ります。精密測定機器製造会社(Société genevoise desinstruments de physique)の経営委員会の一員となり、チョッケの取締役であったフランソワ・ド・カンドルの跡を継ぎ、1950年から1969年まで会長を務めます。アレクサンドルは、石油、採鉱、海運や農業関連のビジネスにも興味を示す一方で、スイス国外でのオフィス開設など、ピクテの国際展開を初めて提唱した一人でした。

第二次世界大戦後、自由貿易協定と世界的な対話を背景とした国際交流の発展は、商業と銀行業務の飛躍的な拡大を後押しすることになります。

国際都市としてのジュネーブの位置づけはますます強固なものとなりました。国際連合の本部としてニューヨークが早々に選ばれましたが、一方でヨーロッパ本部の決定には議論が繰り広げられ、パリ、ブリュッセル、そしてウィーンなどいくつかの都市も候補に挙がりましたが、ジュネーブにある国際連盟の存在がその決定に有利に働きます。国際連合の本部をジュネーブに置くことは、政治的影響とは別に、経済的にも大きな影響を及ぼしました。建設業は絶頂期を迎え、通信網の開発も進み、銀行セクターにおいても持続的な成長がもたらされました。

 



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